2012年03月22日

修行はいらない。―「即身成仏」


個人というのは、無限から出てきて、無限に帰ることに定まっている。

あなたが、「イヤー」と言っても帰りますから、安心してください。

その∞には、善悪はない。

この個人という人間は、悪人であろうと、善人であろうといつかはどこに帰ります?

天に・・・無限という天に帰りますよ・その∞という天には善悪はない!んです。

悪人だけは天に帰らないで、善人だけ帰ると、嘘をつく宗教家に騙されてはならない。

善人も悪人も無限という天から出てきて、この無限という天に帰ると決まっているんです。

それは、お経もいらない、宗教もいらない、いかなる信仰もいらない。 

帰る、帰らないは、―「自分です。」

じゃ、言います。ここに問題が1つあります。

あなたは、死んでから無限に帰るんですか。

―今即無限なのか?

あなたという人間が天に帰るには、人間という形がなくなるまで

待つ必要はない! 人間の形をした、なんだからですか?

無限だからです。ということは、今即天じゃないですか?

それを、「即身成仏」
と。

人間は修行して無限になるんですか、もともと無限なんですか?

―生まれながらにして、無限であると。生まれながらにして、神であると。


何も修行する必要はない。

何かしなくちゃならないよというのは、金儲け主義の宗教家が

後で付け加えた方便なんです。

どこの聖典にも、どこの仏典にも「修行して神・仏となる」と書いていません。

示されていません・

人間一人一人は、生まれながらにして、神・仏であると書いています。

現に、人間一人一人は無限なる神・仏そのものなんです。



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2012年03月21日

恐怖―無恐怖?自我の克服

もうやがて、この地球上にいろいろのことが起こるというのは、

神我の世界でしょうか、自我の世界でしょうか?

あ?

この無限という天国に、災害っていうのがあるんですか?

無限なる本質は、災害も天災も受けませんよ。

その∞は、常に安全で、常に安泰なんです。

この世の手の届かないところに、己をとどめ置くのであると。

この個人という悪魔を、無限という天にとどめ置いたとき、

この世の形の世界の影響受けますか?

じゃ、あなたは個人より来たれり、無限より来たれり?

どこから来ました?

個人という人間から遣わされたるもの、「神」から遣わされたもの?

その∞という「神」から全ては遣わされているわけです。

だから、イエス・キリストだけが神の使いというのは、

ウソつき牧師にのみ言わせておけばいい。

牧師ほどウソつきはいないってことですよ。

全ての人類は、「神」からより遣わされたる者なんです。

その「神」は天ですから、「天」より遣わせたるもの。

「無限」という天は、人の上に人を造らず、人の下に・・・人を造らず。

同じ無限がつくるのに、差別して作ることはできない。

特別に作られたというなら、神への冒涜です。

*特別・・・特に分かれているという意味です。分離感が強いという意味です。

神は特別ですか、無差別ですか?

一つの本質が物を作るのに差別して作れるんですか?

わたしを造りたもうた神と、皆さんを造りたもうた神は同一の神ではないでしょうか?

わたしの中におる「神」は、皆さんの中にもおるっていうことなんです。

それが、誰が神よ、誰が〜言ってるのは、せいぜい宗教家たちではないでしょうか?

宗教家ほどウソつきはいないと。神を偽証する者は、偽証罪に問われますよ。

ここにいる皆さんだけは、神を偽証しませんよね。

その本質は、神秘的なものは何も存在しない。知ってしまえば、当たり前があるだけ。

知らぬがゆえに、神秘なんです。

じゃ「神」っていうのは、神秘なんだろうか、神理そのものなんだろうか。

その「本質的」なものは、神理で、形的なものは「被造物」となっています。

だから、あなたが世界中の形を知ったって、何も知ったことにはならない。

実際にあるのは形じゃなくて、さまざまな形をした本質があるからであると。

どういう形をしていようと、本質である事実は変わらない、だから「神」には

ウソはつけないっていうことなんです。

じゃいくらあなたが、私は「人間」だ、「個人」だと嘘をついても、あなたが

「∞」である事実は変わりますか?―「変わる」? 

じゃ無限にはウソはつけないじゃないの。「神」にはウソはつけないじゃないの。

じゃあなたは、自分のことを「人間」だと言ってるなら、ただのウソつきじゃないですか。

「個人」のあなたと、「∞」のあなたと、どちらが本当のあなたなんだろうか。

「個人」は偽我、「無限」は神我となってますよ。

だから、「無限」という神理を説きながら、同時に「分離」を説くものは偽りの

指導者となってます。

無限には、いかなる分離も・分断も。分割もないからなんでしょう?

「無限」なんです。

「無限」は宇宙に一つしかないから、「無限」なんです。

それが、いくつもあるというなら、無限にはなりません。

だから、幽界がどうのこうの、霊界がどうのこうの、神界がどうのこうのという

ウソつき指導者に耳を貸してはならない。

あるのは、― 「神界」のみなんです。

posted by 花 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 無限に帰る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

∞の自分

生命はエネルギー 肉体は物質何ぜ から抜粋 (1995.9.26新潟)

・命は個人でしょうか、無限でしょうか。? −−− (   )

これが「無限の自分」と言うんでございますね。

だから、個我の中に無限という命が宿ってるわけでございますね。

しかし、皆さん方はどうしてもこの、偽我という肉体は、見えるがゆえに、触ることが

できるがゆえに、これを我(われ)だとみなす人が結構多いということでございます。


・その命というのは、一切を生かす「力」なんでございます。

すなわち、「宇宙エネルギー」でございますね。これを、「フリーエネルギー」とも

言ってるんです。これが、”われ”なんでございます。

じゃ、命というのは年取るんでしょうか、とらないんでしょうか?


・命が「神」であることを、皆さんは、知らない人が結構多いのでございますね。

すなわち、「命」を宿してるということは、「神」を宿してると。これを、内在の神と

いうのでございますね。「神という命」を宿さないで、皆さんは絶対存在できないん

ですよ。で、肉というものは生きているものではなくて、生かされているものだと。


・命そのものが、「意識」なんです。じゃ、宇宙に意識はいくつあるかというと、

たった一つなんです。これは「宇宙意識」であると。

みなさんは、個人意識だと思ってますけれども、個人意識が存在したためしは・・・

個人の命なんて存在したためしは・・・ないと。いうことなんですね。

だから、命は一つにして多身と。一つなる命が、すべての形体に宿ってるんです。


・「神は無形無双の命」でございまして、だから、未だかつて命という神を見たものは

いない、その子を見ているのである。というのは、その命を完全に受けた、それを

現わしてる人の子は見ることができても、命そのものを見ることはできないという

意味でございます。形あるものは、すべて命の媒体にしか過ぎないんですね。


・「霊」というものには、姿かたちがないんでございますね。だから「神」のことを

「無形無双の大霊」と言ってるわけでございます。大霊とは「空」と、「大空」という

意味でございます。形が無いのでございます。だから、神を形で見ることはできないと。


・命には初めがないし、終わりがない。これを”永遠の命”と言ってるのでございますね。

その「永遠の命」/「無限の命」が自分なのか、この肉体という形態が自分なのか、

どっちでしょうか?   ※考えてみてください。



posted by 花 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 無限に帰る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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