2013年02月18日

想念波動DVD (知花敏彦 1993.2.3 清里講話)

深い瞑想状態―― (想念波動より)

えーいちばん深い瞑想状態に入るという意味は、これを深い沈黙といいますけれど、そこに一点の形も見えたり考えたりしてるなら深い沈黙じゃないんですよ。
神は無形にして無双ですから、何の形もないんですよ。無限の広がりなんですね。無形無双の宇宙を体験いたします。

あなたが瞑想している五感という肉体を感じてるなら、深い瞑想状態ではありません。
もう肉体を感じなくなって普遍的な大気に融合しますと、そこには無限の広がり、広大な宇宙が存在しています。
そこにはこの小さな偽我というのは存在していません。神一元・神我一元と言う広大な普遍的な自分を体験するんですね。

その時、この三次元という世界から全く解放されているので、この世の思いというのも一点も、頭にも心にもありません。これが深い沈黙なんですね。
この世の思いというのも全く切り離されるんですね。この地球でさえも消え失せますよ。

その時もう、自分も全くきえてなくなって、地球でさえも消えてなくなって、全ての形態がが消えてなくなって、そこには不可視の広大な宇宙が存在してますね。

これを沈黙の力と言いまして・・・その時、七つの霊的中枢から愛光と言って、太陽の何百倍と言う光を放ちます。その時、この世の太陽がお月様みたいに曇って見えます。なぜかと言うとあなたの霊的・宇宙太陽の方が光源を増しているからなんですね・・・

これが中心☉・霊太陽ですから。
霊と言うことは、太陽と言うことなんですよ。太陽神といって・・・
われは世の光りなりと言って・・・その時想像を絶する光が出ますよ。

私はその太陽の世界にいる時は、この世におりません。私は今朝ここに降りてきたようなものなんですよ。ここにくる5分前まで私はその光の世界にいたのです。そして、肉という形の世界を意識した時、私のバイブレーションが下がってここに降りてきたようなものなんです。
外を意識している時は、外におるし、内を意識してる時は内におるのです。

これはどなたでも可能です。ぜひ体験してください。
光りが現れれば、ニセモノは消える。この形と言う偽物はすべて消えてなくなります。ぜひ体得して体感してください。ありがとうございました。   

2012年02月08日

エネルギーの遣い方CD (知花敏彦 1989.10.8 清里講話)

エネルギーの遣い方・・・知花敏彦氏推薦より

皆さん方は、よくおしゃべりをします。

おしゃべりをしている時に、皆さん方は、相当のエネルギーの消耗なのです。

本来は、やたらなおしゃべりは避けるべきです。エネルギーが消耗し、

体にエネルギーがなくなると、私たちは病気になるのです。

特に心配性の人は、心配している間中エネルギーを、

その心配という思いが強烈なエネルギーの放流、放射、消費を

してしまうわけです。


寝ても覚めても、心配している人は、体がガタガタになります。

だから、たくさん食事をとらなくてはならない、それをやけ食いといいます。

働くことよりも、心配の方が、エネルギーの消耗が大きいのです。

よく心配をするお母さんがいますが、その人は病弱なのです、不健康なのです。

それは、エネルギーをやたらに放流、放射しているからです。


エネルギーが我々の肉体、内臓器官を保護し、活力を増すのですが、

それをやたらに放射するから、病気になるのです。


特に消極的な思い、言葉、行いはエネルギーの放出です。

積極的な思い、言葉、行為は宇宙エネルギーと一体ですから、

同調しますので、波長が合いますので疲れません。

エネルギーの補給なのです。

皆さんが、人を愛しているときは、エネルギーの補給なのです。


人を憎んでいるときは、エネルギーの放出です。だから、愛に勝る力はないと

言いますが、愛がすなわち調和のとれたエネルギーそのものなのです。

人を愛しているときは、エネルギーの補給。人を憎んでいるときは、エネルギーの

消費・消耗・浪費です。


だから、人を憎んだり、悪口を言ったり、この野郎死んでしまえなど、人を憎む

人は、常にエネルギーを身体から放流してしまいますので、とても病弱になるのです。

健康になるも、不健康になるも、自分次第なのです。

エネルギーを正しく使っておれば、決して病気になる人はいません。


いくら健康食品を、いいものを口からとっても、エネルギーの使い方が下手であれば、

役にもたたないのです。

言葉は波動DVD (知花敏彦 93.4.4 清里講話)

言葉は波動より   


「たとえ神が何であるか知らないで、「吾、神なり」と発した言葉でさえ、あなたに影響およぼしますよ!」
   

「吾、神なり」という想いが神への一心集中なんです。

明想(=瞑想)ということは、一つのものへの一心集中…ということは神のみを考える、神以外のことを絶対に何も考えない…これが集中力なんですネ!

たとえ神が何であるか知らないで、「吾、神なり」と発した言葉でさえ、あなたに影響およぼしますよ。知って発する言葉は、もっと力を及ぼしますね。

自分が神であるんだと、神は否定できないんだということが、わかって発する言葉というものは、これは「御言葉」となりますので、力ですからこれを「神言(しんげん)」というわけですよ。

神意識とは何かというと「想い」ですよ。だから、想念は実現の母と言って、あなた方の思ってる通りのものの波動しか出ないんですよ。

「吾、神なり」と発した前と、発した後のあなたというものは、再び元に戻ることはありません。我神なりと思えば思うほど、あなたに神の波動は跳ね返ってきますね。

「吾、神なり」という想いは、あなた自身の内を清めます。発声音は外を清めるんですよ。今ここで発せられた「吾神なり」という想い、波動は、全てに神の波動の影響をおよぼしますよ。全てにですよ。

この小さな雰囲気じゃないんです。宇宙全体にこの波動は伝わりますね。そして宇宙全体から伝わったものが何処に跳ね返ってくるか?・・・

今、発していますのでここに跳ね返って来ますよ。これは時間がかかるもんじゃないんです。即時に跳ね返ってきますね。山彦のごとくなんですよ。

『放つものは得る』…太陽と同じこと。太陽は常に燦然と光を放っているから常に光を得ているんですよ。

これが《循環の法則》です。   



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